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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2010-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「嘘も欺瞞も、それから…」倉田昌紀

紀州の夜から、倉田昌紀さんの投稿です。「只生きているのみ」という生の真実の実感が、紀州の海や山に刻々と染み入っているのでしょう。 嘘も欺瞞も、それから… 倉田昌紀 只生きているのみという強くなるばかりの感じが自然の恵みのなかで精神の在りようと…

一ヶ月の山を越えて(四)

いじめの場面を思い出した、というところからですが、いじめという言葉は独特です。日本語固有のものだと私は感じています。もちろん翻訳はできるでしょうし諸外国にも相当する出来事があるでしょう。 しかしドイツに滞在していた時、私はドイツのテレビ局が…

一ヶ月の山を越えて(三)

会の終了間際に見たビデオは当日の蛮行の様子を校門の内側から撮影したもののうちの一部、5分ほどでしたが私は目と耳を疑いました。これが人間なのか、というあまりにも大きな衝撃を与えられました。映像から暴力を受けたわけです。実際立ち会っていたら恐…

一ヶ月の山を越えて(二)

「ヒロシマ・ピョンヤン」の上映会のチラシは かなり前朝鮮新報に挟み込まれていたもので、ずっと取りおいていました。広島と平壌の取り合わせがなんだか気になっていました。また広島の在日被爆者の問題に関心のある友人から「それ見たいなあ」と言われたの…

一ヶ月の山を越えて

だんだん本格的に春が胎動してきた気がします。 京都の家の近辺ではウグイスの鳴き声がちらほらきこえてきます。となりの空き地では日頃無視されている梅がここぞとばかり白い可憐な花を咲きほころばせています。 早いもので、このブログを立ち上げてから一…

「話し手は誰」倉田昌紀

「とても軽い詩のような拙文です。送信するのもためらってしまいます。」と昨日の雨降る紀州から送信がありました。私も経験があるのですが、病を得て気持も弱っている時、これまでに会ったことのないような人がふいに現れて、これまでに聞いたことのないよ…

海と蝶

海と蝶 金起林 誰も彼に水深を教えたことがないので白い蝶は海がすこしも怖くない 青い大根畑とおもって飛んでいったがいたいけな羽は波に濡れ姫君のように疲れ果ててもどってくる 三月の海は花が咲かずやるせない蝶の腰に真っ青な三日月が凍みる 青柳優子編…

マイノリティ

今朝の京都新聞朝刊の一面にあった 「高校無償化、朝鮮学校除外を容認」という記事にショックを受けました。部外者の私でさえ心痛んだのに、当事者の方々はどんなに絶望感を抱かれたことでしょう。政治的な思惑は私などには分かりませんが、「朝鮮学校がどう…

小林多喜二

昨夜、NHKでたまたま小林多喜二の特集番組をみました(「歴史秘話ヒストリア」午後10:00−11:45)。私も昨今のブームに促され最近初めてちゃんと「蟹工船」を読みました。高校生の頃も少し読みましたが、よく分からなかったという記憶があります。 しかし…

「鳴き声」倉田昌紀

紀州・熊野の倉田昌紀さんからまた投稿がありました。投稿文として書かれていますが、私には詩作品のようにも思えました。ほんの少し詩的に変更させてもらい「作品」としてアップします。「ウィー、ウィー、ウィー」は私には「肯定」の意志に思えます。みな…

「詩と文学とトークの会」in熊野市立文化交流センター(二)

2月21日に熊野市立文化交流センターの交流ホールで行われた「詩と文学とトークの会」で私がした話の大体の内容です。中田重顕さんから送って頂いた写真もアップいたします。 みなさま今日は来ていただき、どうもありがとうございました。 熊野のこの地で…

紀州・熊野の蒸気

今朝、昨日大阪から和歌山・田辺市の病院へ転院した倉田さんのお見舞いに行きました。この ブログでも紹介した、私に紀州・熊野の魅力を全魂で伝えてくれた恩人です。車で移動した長旅の疲れを心配していましたが、思いのほかお元気そうで少し安堵しました。…

熊野・詩・うつほ

詩とは、なんでしょう?不思議なことに、熊野でものを考えていると、いつも自然と私は、風景そのものへとそう問いかけ始めるようです。「今ここを生きるとはいかなることか」。薄い雲の中から光が問いかけてきます。地上で私の魂は答えようと陰影を作ります…

「詩と朗読と文学トークの会」in熊野市立文化交流センター(一)

本日、熊野市立文化交流センターでの「詩と文学とトークの会」を無事終えました。人前で話をするのが苦手な私ですが、心配よりも、熊野の地で熊野の詩を朗読出来る喜びがまさっていたようです。朝からあまり緊張感なく過ごせました。昨年9月にオープンした…

熊野に着きました

熊野市に着きました。お天気にも恵まれて、良かったです。底冷えの続く京都から来たので、熊野が暖かで明るいのには驚かされました。草木も石も、春の光に子供のように喜んでいるようです。いのちがふたたび自由を謳歌する季節が巡って来ているだな、と嬉し…

「熊野の宙返り」倉田昌紀

新鹿への迷走の続きを綴らなくてはならないのですが、明日の熊野行きでばたばたしています。そんな折ありがたいことに、倉田さんからまた不思議で魅惑的なエッセイが送られてきました。「熊野の宙返り」。そうそう。私もまた熊野あるいは紀伊半島を京都から…

「私のユートピア・熊野」倉田昌紀

『新鹿』で私を熊野の奥処へナビゲートしてくれた倉田昌紀さんが、このブログに投稿してくれました。なぜ中上さんが新鹿で自給自足を試みようとしたか、そのように誘う熊野は何か、をユートピアという思わぬ観点から考察されています。私もとても触発されま…

詩という「虚構」について

先ほど「新鹿(一)」をご紹介するとき、「詩の主体として私は、このように旅の時間を「虚構化」しました。」と書きました。どうしてそう書いたのか、気になったので考えてみます。 「新鹿(一)」は実際の体験を時間の経過のままに書いていますが、体験その…

新鹿(一)

今ずっと、新鹿の「開墾地」に辿り着くまでの旅を書いています。参考までに詩集『新鹿』所収の「新鹿(一)」をアップします。21日の熊野市立図書館の会でも、朗読する予定です。詩の主体として私は、このように旅の時間を「虚構化」しました。 新鹿(一)…

詩にとって熊野とはなにか(六)

新宮から新鹿へ。 熊野灘を右手に見て獅子岩、鬼ヶ城からさらに北へと車は走ります。やがて私たちは国道311号線から山の方へ道を外れ「新鹿小学校」を目指していきました。中上さんの娘さんたちが当時通った小学校です。 「東京郊外の小学校から南カリフ…

詩にとって熊野とはなにか(五)

昨日は新宮で中上健次さんの実家を訪ねた夜のことを書きました。 その翌日は、大辺路(海沿いに紀伊半島南部を巡る道)を一気に駆け抜け、とても印象深い旅程だったのですが、また後日に。 日曜に熊野市立図書館での『新鹿』の朗読会があります。それで新鹿…

詩にとって熊野とはなにか(四)

倉田さんに誘われて初めて紀州・熊野に行ったのは、 2007年10月12日でした。 初めてと書きましたが、それまで数回、白浜や串本には行ったことはありました。しかしそこを「熊野」と意識したことはなかったのです。ただ海や山のきれいなところ、いわ…

柳美里「詩人尹東柱」

昨夜のNHKの「視点・論点」は柳美里さんの「詩人尹東柱」でした。 命日を記念してのことでしょう。 この番組をたまたま見ることができたのは、夫がテレビのある部屋から台所でお皿を洗っている私に「おーい、ユンドンジュだって」と知らせてくれたからで…

詩にとって熊野とはなにか(三)

私が熊野を訪れるようになったのは、紀州・白浜町富田に住む倉田昌紀さんからのお誘いが きっかけでした。その経緯ですが、2007年9月に家に突然小包が届きました。小さく重たい箱を開けてみると、そこには私の詩集数冊と手紙とお菓子が入っていました。…

「詩人「尹東柱」の思いしのんで」

昨日(15日)付の京都新聞文化欄に、7日に行った「東柱を生きる会」が、大きく紹介されました。「詩人「尹東柱」の思いしのんで」と題する記事です。この会の趣旨と内容を、共感にもとづきしっかりまとめていただいています。 そこで私がブログでとりこぼ…

詩にとって熊野とはなにか(二)

もちろん、昨日述べたような熊野の印象は、熊野の外部である「今ここ」つまり京都の自室で 書いていて生まれたものです。熊野の内部で私はこのような印象を本当に持っていたのか、怪しいのです。熊野ではただ何も考えず、言葉にもせず、やってくるものを目に…

詩にとって熊野とはなにか(一)

私は2009年3月に『新鹿』という詩集を出しました。これは私の8冊目の詩集ですが、それまでの7冊は、とりわけ詩の舞台としてどこかの土地を特に具体的に設定することはありませんでした。ただH氏賞を頂いた詩『アリア、この夜の裸体のために』の、表…

「詩と朗読と文学トークの会」

さて、 約一週間後に迫った熊野市での朗読と講演の会のお知らせです。 日時: 2 月 21 日( 日 ) 13:30〜15:00 場所: 熊野市文化交流センター お問い合わせ: 熊野市立図書館 電話0597-89-3686 内容:熊野市立図書館の設立記念講演として詩集「新鹿」を発…

「詩作の砦」の前に立つ(「東柱を生きる会」の終わりに)

「尹東柱(ユン・ドンジュ)が治安維持法違反の容疑で、この地にあった武田アパートから下鴨署に連行されたのは、一九四三年七月十四日のことであった。北間島(現中国吉林省)に朝鮮人として生まれ、一九四三年渡日、同志社大学で学ぶ傍ら、清冽な詩を作っ…

ハッキョ(四)(「東柱を生きる会」オプショナル・ツアー)

見学をひととおり終え校長室で金先生や他の先生方も交え、お話をしました。朝鮮学校の歴史や今置かれている状況を説明していただいたあと、ふと尹東柱の話題となりました。 先生方は前日の「東柱を生きる会」についてもご存知だったようで、 (この日のため…